サ プ リ メ ン ト   お ま け ?

鎮守提婆宮のちょっと怖い話 

杉の木に藁人形

いろいろなサイトに次のように書かれています。 「『加茂の提婆は人をとる』と昔からいわれる。これは深夜に寺域の古木に呪釘を打つと、提婆のつかわしめ(白狐)が相手にとりついて殺してしまうという言伝えからきたものであろう。提婆宮の北側の土塀には穴が開いていて、これは白狐の通路である。」 「いろいろなサイト」という中には、民間製、公共体製のほか官製まで含まれます。お寺の冊子には「現世のご利益霊験あらたか」とあるのみで、丑の刻参りだの呪詛だのについては黙して語っていません。

藁人形

写真: 藁人形"

そもそも呪詛というのはむしろ大昔にはごく素朴なものしかなくて、奈良、平安期に盛んで、鎌倉期以降の武力社会にはすでに下火だったのではないか、というのがわたしの感覚です。もっといえば、信仰とか宗教は原始から現代にいたるまで人々の心にあって、社会を動かす一つの力であり、呪詛との結びつきも強かったし、天台宗にも密教成分はあるわけだし、とは思いますが、科学の盛んな今の人たちはおおむね呪詛の力を信じてはいないといってよいのではないでしょうか。
 ところで、右上の写真は最近(といっても2010年より数年前)実際に撮影されたものです。被写体がいたずらによるものである可能性は否定できませんが、やはりそうではないような気がします。頭では呪詛などないと思っていたとしても、不調、不運、不幸から、深い悲しみ、憎しみ、恨みへと心が向いてしまう人がいないとは断言できないと思われませんか(あるいは逆に、このように呪われても気にならないとは言い切れないのではないですか)。そう言い切れる人はとても健全で幸せなのでしょう。スピリチュアルやら霊感やらをテレビ局が後押ししてもしなくても、人の心の奥底には歴史に培われたそのようなものが退化も進化もしないで残っているのかなあと思わせる写真ではありました。

2009年3月ごろ左の写真のような、やはり人形というのでしょうか、コルクの板にマジックインキで人形を書くという新手法のものが打ちつけられていたそうです。どのような心でなされたものなのでしょうか。
 このような新しい方式がお提婆様に通じるかどうかは分かりませんが、仏さまはこのような心にも手を差し伸べられることでしょう。

コルク人形