お施餓鬼会    
 平成25年 施餓鬼会
例年通り9月第4土曜日に行いました。約50名の方々が参加なさいました。
その模様などを少し詳しく述べてみます。
 
   
<25年案内状1> 
 拝啓、殊のほか厳しい残暑でございましたが、皆様つつがなくお過しでございましょうか
 さて、恒例の、お施餓鬼会の法要を来る9月28日(土)に当山本堂に於いて執り行います。
 お施餓鬼会は文字通り、餓鬼どもに飲食を供養する法要で、その施しの善行を積むことによって、御先祖様の霊位に善行を回向し、また、自らの後世の菩提の為にも善行を積打という趣旨の法要であります。
 ご遠方の方は、日頃なかなか寺へお参り頂く機会もございませんので、こう云う機会にお誘い会わせの上、お参り下さいますよう御案内申し上げます。
 なお、お昼の粗饗を準備する都合がありますので、お参りの方はお手数ながら、9月26 日(木)までに電話その他で、参詣者の氏名、人数をお知らせ下さいますようお願い致します。
 (お参りでない場合のご返事は頂かなくても結構です。お参りの場合のみお申込み下さい。)

1.日時 平成25年9月28日(土)
       受付 午前9時より
       法要 午前!O時から正午頃まで
       昼食の後、午後1時頃終了の予定です
2.場所 当山本堂
3.申込み〆切り 9月26日(木)
                   平成25年9月吉日
                    円城寺住職 天艸眞諦 
  <25年案内状2>
 
拝啓 殊のほか厳しい残暑でございますが、皆様つつがなくお過しでございましょうか。
 さて、恒例のお施餓鬼会の法要を来る9月28日(土)に当山本堂に於いて執り行います。
 ご承知の通り、お施餓鬼会は積善の功徳として、ご先組様の追善回向にはこの上なきものと言われております。
 つきましては、今年貴家にて初盆を迎えられました
  御精霊様             霊位
    (俗名             殿)
のために、別回向施餓鬼をお勧めいたしますので、お繰り今わせご参詣下さいますようお願いいたします。
                                       合掌

1 日時 平成25年9月28日(土)
   受付 午前9時から
   法要 ・午前10時から正午頃まで
   昼食の後、午後1.時頃終了の予定です
2 場所 当山本堂
3 出席回答のご依頼
  お昼の粗饗を用意する都合がございますので、お手数ながら同 封の葉書にて9月21日(土)までに出欠のご様子をお知らせ下さいますようお願い致します。
                   平成25年9月吉日
                  円城寺住職 天艸眞諦 
<案内状1>は一般の方向け    <案内状2>はこの一年に亡くなられた方のご遺族向け 
施餓鬼会次第
九時 受付け開始
十時 施餓鬼法要(本堂)   *終了後、お塔婆をお受け取り下さい。
十二時 昼食 (総代の指示に従って客殿に移動して下さい)
 
   
お施餓鬼(せがき)・施食会(せじきえ)の話        意味と由来
 施食会(せじきえ)、冥陽会(みょうようえ)、無遮会(むしゃえ)とも呼ばれるこの行事は仏教徒としての布施、分かち合いの心をあらわしたものです。
人間が慈悲の心をなくし、ただ自分の欲望のみを追いかけた報いとして墜ちる世界に餓鬼道という地獄があります。そこに苦しむ餓鬼達に飲食を施し、法力をもって彼らを苦海から救い人天の世界に蘇らせようとする法会です。
お盆の法会と一緒に併修されることが多いのですがもともとは別の行事です。
一年を通して随時、全国のお寺で行われています。
お盆や先祖供養の行事と併修されるのは、餓鬼に飲食を施すことによりその功徳をもって先祖の霊を成仏へと導く追善回向の性格の行事だからです。
また、ともすれば欲深く利己的になりがちな自分の生活を戒める願が込められています。
お盆の由来が目連尊者<もくれんそんじゃ>とその母にちなんだ話しを基にしているようにお施餓鬼にも由来の物語があります。
それは「仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼」<くばつえんくがきだらに>というお経にかかれてあります。
お釈迦様の十大弟子の一人であり記憶力第一と称せられる阿難尊者<あなんそんじゃ>があるとき森のなかで座禅をしていたところ、突然焔口餓鬼<えんくがき>が現れました。
 「おい、阿難よお前は三日後に死んで餓鬼として生まれ変わるだろう」といいました。
阿難は驚き、それではどうすれば良いのか尋ねました。
 「明日じゅうに数え切れないほどの餓鬼と修行僧達にそれぞれ一国分の食べ物を施し、私のために仏法僧の三宝を供養せよ。そうすればお前は寿命を得、私も餓鬼の苦しみから逃れて天上に生まれることができる」 と叫んで姿を消したということです。
阿難は急いでお釈迦様のところに行って教えを請いました。
 「阿難よ悩むことはない。 一心に加持飲食陀羅尼<かじおんじきだらに>を唱え一椀の食べ物を供えよ。 それが無量の飲食となり餓鬼達の供養となる」
 阿難はお釈迦様の教え通りに祈り、一切の餓鬼と修行僧達に供養し難を逃れたということです。
お施餓鬼で唱える経文は「甘露門」です。天から恵まれた霊薬という意味です。
仏教では仏様のお説教のことを甘露の法門と呼んでいます。まず、清らかな道場に諸々の仏、、菩薩様と阿難尊者をお迎えします。ここで一切の迷える餓鬼の魂に食を施し五如来の力を借りて皆で悟りを開こうと誓うのです。
ところでこのお経にある五如来の仏様とは次の仏様です。
 
多宝如来<たほうにょらい>(南方宝生仏<なんぽうほうしょうぶつ>)
人間は怒り、貪り、愚ちの煩悩を引きずります。これらを静めて下さいます。
この仏様は大日如来<だいにちにょらい >の「平等性智<びょうどぅしょうち>」の徳分をあらわします。
 
妙色身如来<みょうしきしんにょらい>(東方阿閃仏<とうほうあしゅくぶつ>)
大円鏡智という仏様の大いなる悟りの知慧の力によって福徳円満になります。
、 
甘露王如来<かんろおうにょらい>(西方阿弥陀仏<せいほうあみだぶつ>)
心身のけがれが浄化され、やすらぎが得られます。仏の妙観察智の徳をあらわします。

広博身如来<こうばくしんにょらい>(中央大日如来< ちゅうおうだいにちにょらい>)
傷つき満たされない魂にその喉を広げ飲食の供養をしています。
中央毘盧遮那仏を指します。
  
離怖畏如来<りふいにょらい>(北方釈迦如来<ほっぽうしゃかにょらい>)  
かなえられない不満の塊のような飢えた魂を慈悲の念でつつみ安心を与えます。

五如来の徳は餓鬼を突き放すのではなくどんな状態であっても優しく救いとろうという心です。
私たちは施餓鬼壇にこの五如来を旗にたたえて飾ります。
青、黄、赤、白、黒がそれで、これらを「正色」といい、宇宙の調和を成り立たせる性質を表しています。
このようにお盆が目連尊者の孝心を通して先祖への孝順を説くのに対して、お施餓鬼は阿難尊者の慈悲を通して誰にも供養してもらえない餓鬼に飲食を施すことで誰でも救わずには置かない仏の大慈悲を示しているといえます。