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  本宮山円城寺は 2015年に 開山 1300年 を迎えます

円城寺の史跡巡り  ウォーキングコース中の各ポイント

 
本宮山円城寺は、今から約干三百年前の西暦七一五年、道の駅より東方の本宮山頂に創建されました。鎌倉中期(西暦一二八三年)に大火に遭い、現在の地に再建されました。
 当時、十四の塔中(僧坊)よりなる一山寺院でしたが、その後の栄枯盛衰を経て、現在は円城寺本坊、地蔵院(旧福蔵坊)、医王院(旧松本坊)の三坊が残っています。残る十一ケ坊のうち六ケ坊のあった場所が地名などから推定されています。
 ふるさと村駐車場から2時間程(@〜Jなら1時間程)で一めぐりできますので、鎌倉時代円城寺の故地を訪ねてみませんか。


 
以下、ウォーキングコース中の各ポイントについて簡単に説明します (小さな画像をクリックすると拡大写真が出ます)。
 このページ下段に円城寺歴史講座 第2回 「円城寺塔中跡等を巡る史跡探訪」の報告写真があります。

@ 鳴の坊跡  現在のふるさと村駐車場)
 現在の駐車場や小学校の校庭は、以前円城寺寺有の畑であった。この辺りを鳴ということからも鳴の坊の跡地と推定される。

(なるのぼう)
A 旧松本坊  (現在の医王院)
 現在は薬師如来を本尊仏とする天台宗の寺院。裏手に庚申堂、祇園社等の社が祀られているが、いずれも円城寺と関わりの深かった社と推測される。
B 東楽坊跡  (現在の塚本内科医院)
 推定樹齢三〜四百年の大杉の付近が東楽坊の跡地と推定される。提婆宮の大杉と並びこの辺りではもっとも古い木である。

(とうらくぼう)
C 円城寺本坊 
 江戸時代末期一八四六年に再建された本堂を中心に阿弥陀堂、提婆宮、山門、客殿等から構成される円城寺がかつての円城寺一山の中心であった。
D 北の坊跡
 現在の県重文宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある付近が北の坊跡と推定される。この石塔は南北朝時代のもので地下から推定五千体の素焼きの観音像と地蔵像が発掘されている。
E 提婆宮
 鎌倉中期に創祀された円城寺の鎮守提婆天を祀る。現在になお神仏習合(神と仏を等しく併せ祀る)の形式をとどめている。

(だいばぐう)
F 西蔵坊跡  (現在の西の五輪塔付近)
 近年切リ倒されたが、この石塔の後ろにも古い大木かそびえていた。昔の日本人は寺社に関わる大木を神聖視しこれを残すことをしきたりとしていたのである。
(さいぞうぼう
)
G 倉ケ一地蔵
 この地蔵は江戸時代に建立されたと推定され、円城寺と直接の関係はない。昔の円城村と上田東村との村境の地蔵である。
H 中の坊跡  (現在の金比羅堂付近)
 この小高い丘には現在金此羅堂と荒神堂が祀られている。この丘からの眺めはかっての円城寺提婆宮門前町の名残をとどめ、その向こうには本宮山の美しい姿を見ることができる。
I 旧福蔵坊  (現在の地蔵院)
 現在は聖観音菩薩本尊仏とする天台宗の寺院。本坊、医王院と合わせ十四ケ坊のうち三ケ坊が現存するが、三ケ坊の残る一山寺院はそう多くないとされる。
J畑の坊跡  (現在の二番組集会所付近)
 二番組集会所の裏手には、荒神様、モリ様と、御正体の不明な石像が祀られている。僧坊の失くなった後もその跡は様々な形で人々の信仰の拠り所となっているのである。
K三昧の六地蔵
 三昧は墓地を意味する言葉で、この六地蔵より岩倉山方面に、円城寺の墓地があることから、墓地と人里との境の地蔵であることが分かる。六地蔵の六は、地獄 餓鬼 畜生 修羅 人間 天人の六道を指す。

(さんまのろくじぞう)
L 高下田の摩利支天様
 ここには、元々 摩利支天様が祀られていたが、事情があって他所から木野山様や、石像等が移され、合祀されている。こんもりとした森が、宗教的な雰囲気を漂わせている。
    (こうげだのまりしてんさま)



円城寺歴史講座 第2回 (2009.7.4)報告写真 
「円城寺塔中跡等を巡る史跡探訪」で訪れた先での写真です。 案内と説明はいずれも住職。 小さな画像をクリックすると画像が変わります。。